剪定した松
手前は蕾をつけた梅
今日、松の剪定をした。実は、庭木の剪定の中で松が一番嫌いだ。春に出た新芽は秋までにもの凄く伸び、一年間で樹形が大きく乱れてしまう。写真の松、父が亡くなった4年前には、コニファーによくあるような円錐形をしていた。あまり松っぽく無かったので、全くの自己流で枝を切ったり、紐でつったり、竹や針金で形を造ってみたのだ・・・
父は植木が大好きだったうえに、器用でもあった。定年退職後は、趣味が高じて植木屋で働いた時もあった。実は庭にもう一本松の木があった。そっちの松も父が仕立てたものだが、そっちのは日本庭園にありそうなとても良い形をしていた。恐らく父は庭木の中でも、その松はかなり気に入っていたと思う。父が亡くなる数年前の事だったろうか、ある日気が付くと、松が根元からスッパリと切られていた。あれ程大切にしていた松を、自分の手で切ってしまうなんて・・・あの時は大変驚いたのと同時にショックでもあった。
松の剪定をしている今、松を切った父の気持ちがわかるような気がした。松の剪定はとても大変で時間もかかる。枝を少し切るにも、遠くから樹全体のバランスを見る。少し切るとまた遠くに離れ、次にどこを切ろうかと様子をみる・・こんな感じでやっているので、実に面倒くさいし作業はなかなか進まない。・・・実は写真の松、つい最近まで根元から切って、他の植物を植えようと思っていたところだったのだ。止めたのは、今月号の「趣味の園芸」の「お正月と松」をいうコラムを読んだ事による。古来から大木には神が降臨してくると信じられており、神が降りてくるのを「待つ」事から松の名が付いたとの事だ。これを読んだら、松が切れなくなってしまったのだ。
剪定を終えて沢山の松葉がでた。普通ならゴミとして捨てるところだろうが、松葉をお湯で洗って、袋に詰めた。今日は、松葉湯だ。あとは風呂が沸くのを「待つ」のみ
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